株式会社エムケーマエダ家具(設立年:1927年、従業員:16名、事業内容:住宅用家具などの製造・卸・販売およびOEM供給)の代表取締役社長を務める前田幸輝は、1983年(昭和58年)に入社した。今日まで波乱万丈な人生を歩んできた、前田の軌跡を追った。
父親の一声から
ファッション業界に進もうとしていた前田に、「家具の方をやってみないか」と声を掛けたのは、エムケーマエダ家具の製造専務を務めていた父親だった。当時は、企画やデザインが良くなくても、作ればそれなりに売れる時代。だが周囲には、洋服屋を運営し、刺激をくれる知人が多くいたことから、インテリア業界はファッション業界に比べて遅れを取っていると感じていた。「それならば、自分で作ってしまおう」。入社を決めると、まずは家具の勉強をするため、図面や開発、企画などを2年間、静岡県工業試験場で学んだ。その後、父親たちが手掛ける製造部門に企画やデザインを取り入れ、若いスタッフも増やしていった。
ファッションのように楽しむ
1985年(昭和60年)に行ったイタリアのミラノサローネ国際家具見本市では、衝撃を受けた。日本の地味な展示会とは異なり、ファッションと同様に楽しく演出し、格好よくモダンな印象だった。「日本は遅れている……」。前田はこの衝撃を企画に繋げた。同年、取引先の株式会社丸井と手を組み、黒い家具のブティックシリーズを出し、ブームを生み出す。1995年(平成7年)には、当時の三菱商事株式会社のスタッフ、マルイチセーリング株式会社の元営業担当とタッグを組み、Francfrancにも出品することとなった。こうした中で、前田はファッションのようにエレガント、トレンディ、ベーシック、ハイテックといった軸で家具を分け、空間素材やインテリアといったキーワードを加えて創造的なライフスタイルを構成。それらを組み合わせ、「無限への創造」というコンセプトでブランド化していくことで、売り上げを伸ばした。デザインが会社を変えていったのだ。
分裂した会社
しかし2000年(平成12年)、円高の時代を迎えて状況は変わった。どの企業も海外へ進出していったのだ。それまで手を組んでいた企業も、エムケーマエダ家具のデザインやノウハウを勝手に海外へ持ち出し、製品を安く作り始める。それに伴い、前田たちの受注も売り上げも減少した。エムケーマエダ家具も中国への進出を試みたものの、社内で意見が対立し、会社は分裂。前田も中国に行きたかったが、反対派の父について日本に残った。ここまで必死に駆け抜けて来た前田は、やる気を失い人間不信に陥っていった。
「3年間やってみます」
その後、ISOを取得し高品質を謳うが、うまくいかず大きな赤字となる。そんな状況下で手を差し伸べてくれたのが、イトーグループ代表の伊藤健次だった。そして2013年、前田は社長に就任。自分は社長の器では無いと思っていたが、3年間で駄目なら退く覚悟で手を挙げた。今は中国進出組にも声を掛け再集結し、利益も出るようになってきたという。「波乱万丈ですが、これが人生なのだと思っています。刺激をくれていた知人たちも世の中の流れを受け、静岡に戻って来ました。今は、新型コロナウイルスの影響でこの先どうなるかもわかりません。このような時代を乗り越えれば、また大きなチャンスがあるだろうという意識を持って進むしかないと思っています」。
変わらぬコンセプトで
今後も「それまでにないものを作りたい」というコンセプトは変わらず、いろいろな素材でモダンな家具を作っていくことが目標だ。現在は家の照明やカーテン、床や壁のコーディネートも手掛け、売り先はハウスメーカーにシフトしており、この先も喜ばれるライフスタイルの提案を続けていく。そして、自ら考え、店舗作り、提案営業に励むスタッフの姿を見ることは、前田のやりがいとなている。「社員と、イトーグループには常に感謝しています。お客様との縁を大切にし、グループ力も強化して、スタッフみんなが満足できるような仕事をしていきたいですね」。これまでの日々を糧に、前を向き進み続ける前田。その活躍に今後も注目していきたい。
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